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(電話:82-2177)
観覧時間 平日 8:30〜16:30
大町町公民館2階に町民から寄贈された貴重な郷土資料を展示してある。特に炭 鉱時代の写真や資料が多く展示してある。年に数回展示の入れ換えを行っている。 |
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| 昭和10年、当時の杵島砿業所の拡張工事中に発見された銅製の経筒と滑石製の外筒からなる。経筒の線刻銘から、11人が関わり、嘉保三年(1096)に製作されたことがわかる。銘文から製作年がわかるものとしては、県内では小城町岩倉山経塚出土経筒の治暦二年(1066)に次いで古いものである。
佐賀県重要文化財に指定され、現在は佐賀県立博物館に寄託保存されている。 |
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| 縦長の菱形に近い不定形の石に、線刻で蓮華座と地蔵尊が刻まれているが、衣のヒダや顔の主要部分を陽刻にしているのが特徴。応安六年(1373)三月八日の銘があるが、銘文から製作年が知れる地蔵板碑としては、県下で最古のものである。 |
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| ヤスマキは「夜酒幕」のことと伝えられている。現在の山内町の黒髪山に巣くう妖怪を退治しにやってきた鎮西八郎源為朝に、妖怪に悩まされていた住民が感謝の酒を献上したところ、為朝は大変喜んでこの地に幕を張り酒宴を催したことからヤスマキと呼ばれるようになったと言われる。 |
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| 久寿三年(1156)、この地の郡司に赴任した太宰府の武将、国弘徳房は村民に大変慕われ、任期が終わっても留まってくれるよう嘆願され、徳房もその熱意に留まる決心をしたと言われる。彼は名を藤原道近と改め、さらに地域のために尽くしたので、彼は「道近さん」と親しまれ、彼の家の周りは家が増え、現在の道金町の名前の由来になったと言われる。 |
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| 「道近さん」こと藤原道近の妻、黄金姫が祭られている。大変な難産に苦しんだ姫が、臨終の際に自分が夫人の安産を守ることを誓われたといい、長寿の滝で身を清め、その水でお茶をいれてここに供えれば安産間違いなしとして、今も昔と変わらない信仰を集めている。 |
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| 大町町総合福祉センタ−「美郷」建設に先立つ発掘調査で発見されたこの井戸は、2m以上の深さからていねいに石が積み上げられている。出土遺物から13〜15世紀頃作られたと考えられる。建物の中庭部分にあたる幸運と、関係各位の協力により、そのままの場所に保存され、今でも澄んだ水が湧きだしている。 |
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| 当初は八幡宮の放生地に弁財天が祭られているが、いつしか弁財天社は山頂の奥の院が中心となった。弁財天には15人の眷族(仏教では仏・菩薩などの従者や弟子)がいるとされ、ここにもかつては童子の像があったいわれる。その1人が印鑰童子です。「印鑰」とは印章と鍵の意味で役所や寺社が印章などを保管していた場所を指すこともある。 |
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観音像は西福寺開山のときに造営されたと伝えられ、片膝を立て思い考える姿と、持ち物の如意宝珠・法輪が特徴。観世音菩薩は文字通り世間の衆生の救いを求める声を観じ、あらゆる姿で現れ、衆生を救い、願いをかなえるとされ、特に現世での利益を願って信仰された。
(町指定重要文化財) |
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